懐かしい名前
友人が業界紙に世界中のサッカースタジアムの話題を書いていたらしいが、どうも飽きがきたようで「暇なら書かせてあげる」と依頼?欺し?されました。
取りあえずアステカスタジアムです。
82年スペイン大会を観戦した夢ようなマドリードでの22日間の後、86年2回目のメキシコ大会(言語も同じスペイン語だったし、ビールの頼み方や水のオーダーも憶えたので)も行きたかった。その頃、世界は平和でマラドーナ、マテウス、リネカー、プラティニなど個性豊かなプレーヤーが多かった。
以下がその文です。
エスタディオ・アステカ (Estadio Azteca)メキシコシティ。
アステカスタジアムは1966年メキシコオリンピック(1968年)の時建設された世界屈指の巨大スタジアムである。嘗てはブラジルのマラカナンスタジアム(20万人収容、現在は9.5万人)に次ぐ13万人を収容したが、現在は11万人収容に改装された。クラブ・アメリカとメキシコ代表がホームスタジアムとして使用している。
サッカーのオールドファンにとってメキシコオリンピックとアステカの地は忘れることが出来ない。このスタジアムで日本はフランスを3:1で破りベスト4となった。残念ながら準決勝ではステートアマのハンガリーに5対0と大敗した。
3位決定戦はホームのメキシコとの対戦となり日本の不利は決定的であったが、杉山、釜本コンビの大活躍で2対0とリードした。試合開始から観客は当然「メヒコ、メヒコ」の大声援を送っていたが、ロスタイムを迎える頃には自国選手の不甲斐なさに声援は「ハポン、ハポン」と変わっていった。タイムアップとともにシートに敷いてあった座布団?がピッチに乱れ飛んだのが印象的だった。釜本はこの大会得点王になり、世界選抜にも選ばれた。サッカー日本代表がもう一度オリンピックに出場するにはそれから32年の歳月が必要になった。
1970年にはFIFAワールドカップが行われた。サッカーが正にサッカーらしい華やかなプレーヤに彩られた時代だった。王様ペレ、皇帝ベッケンバウアー、ドイツ魂の権化ゼーラー、爆撃機ミューラー、カノン砲のチャールトン、挙げているとキリがないが、ヒーローには大方キャッチフレーズがあった。大会はペレのためにあったようなものだが、準々決勝イングランド、準決勝イタリアと壮絶な延長戦を戦った西ドイツはファンの心にドイツ魂の凄さを焼き付かせた。中でも芝をかきむしって悔しがったウーベ・ゼーラーと肩を脱臼しながらもエレガントなボールコントロールを披露し続けたフランツ・ベッケンバウワーの後ろ姿は印象的だった。
決勝戦のハイライトは右サイドを上がってきて、ペナルティサークル角から芝に航跡が残るような弾道のシュートを打ったカルロス・アルベルトのシュートに尽きる。王様ペレがジュール・リメ杯の永久保持を母国にプレゼントしてワールドカップ史上最高といわれる大会は終わった。
1986年にはウルグアイが本大会を辞退したため急遽2回目のW杯が行われた。ディエゴ・マラドーナの大会と言わざるを得ないが、筆者は彼の神の手がなければミシェル・プラティニ(フランス)の大会にしてやりたかった。
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