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2008年11月12日 (水)

例の原稿サンシーロ

 ミラノには2回行きました。ドゥオーモ寺院を中心にたくさん居るジプシーには閉口します。残念ながらサンシーロには行ったことがありません。中田がペルージャで活躍した年はミラノ経由ペルージャでした。

以下がサンシーロ(ジュゼッペメアッツア・スタジアム)です。

ジュゼッペメアッツア(Giuseppe Meazza)スタジアム

イタリア、ミラノ市サンシーロにあるサッカー専用競技場。セリエAに属するインテルとACミランのホームスタジアム。収容人員85.700人、透明の屋根に覆われる世界でも屈指の名スタジアム。

 インテルに永く在籍し、後にACミランでもプレーしたジェゼッペメアツアから1980年に名付けられた。インテルサポーターはジュゼッペメアッツアと呼び、ミランサポーターはスタディオ・サンシーロと呼ぶ。我々にとってもこのスタジアムは当然サンシーロであるべきだと思う。インテルでは新しいジュゼッペメアッツアを建築する噂もあるようだ。

1990年イタリアワールドカップの開幕ゲームはこのサンシーロ(当時の大会での名称はこれだったような?)で行われた。登場したのは前回メキシコ大会優勝国マラドーナ率いるアルゼンチンとロジェ・ミラが復帰した「不屈のライオン」カメルーンだった。0:0で迎えた後半、特殊な屋根のため少し薄暗く感じるピッチでカメルーンのオマン・ビイクが垂直に1.5mほどはジャンプしたと思われるジャンプヘッドを決め、王者アルゼンチンが開幕戦を落としたときは驚きが世界中を駆けめぐった。アルゼンチンも決勝まで進んだが、カメルーンもベスト8となった。アフリカチームの躍進はこの時から始まったと言える。

イタリア人の大半は日本の野球ファンの大半がジャイアンツ贔屓のようにトリノのユベントスファンが多い。しかしダービーマッチではトリノダービーよりミラノダービーの方が日本では興味の湧くところだと思う。黒と青の縦縞のインテルは1970年代ジャシント・ファケッティやサンドロ・マッツオーラを擁しイタリアカテナチオの基礎を築いた。特にファケッティは現代のオーバーラップからのサイド攻撃の元祖とも言え、ディフェンダーでありながら75ゴールを記録した。その後インテルの会長も勤めたが2006年死去した。背番号3はインテルの永久欠番となった。

赤と黒の縦縞を着るACミランは去年(2007)トヨタカップで来日したこともあり知る人は多い。特に90年代はフリット、ファンバステン、ライカールトのオランダトリオを獲得し名称フランコ・サッキ監督が採用した前線からのプレッシングサッカーを展開し最初の黄金時代を迎えた。この時代の忘れられないプレーヤーはキャプテンのフランコ・バレージです。カズがジェノバに移籍した出場第一戦でカズの鼻を折ったプレーヤーです。セリエAの名刺代わりにしては強烈な一発でした。これが尾を引いたのか後のカズのイタリアでの活躍は印象の薄いものでした。

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